人生

自分の棚卸しにエイジ・オブ・エンパイア!?

自分でビジネスを始めようという人は「自分の棚卸し」が必要だという。

なにかというと、自分の経験・スキル・性格を全部書き出してきちんと把握すること。

 

雇われて仕事するだけなら、言われたことをやっていればいいし、ダメになったら転職すればいい。

しかし、自分で起業しようとすると自分で全部考えないといけないし、普通はそう簡単にやめられない。

起業家はただの従業員より「主体性が必要」で「パワーが必要」で「根気が必要」。

とてもシビアな性能が求められるわけ。

 

そこそこ許容できる仕事であれば「そこそこの性能」は出るので、従業員としてはやっていける。

でも、その程度の性能では起業してやっていけないので、「高性能」がでる仕事を選ぶ必要がある。

 

つまり、起業する人は自分にベストマッチな仕事を選ばないとうまくいかない可能性が高い。

従業員より大変なことが多いので「やる気が足りない」「続かない」となってしまう。

ベストマッチな仕事を選ぶには自分のことをよく知らないといけない。

 

そしてそのために「自分の棚卸し」とかそういった名前で色々な方法が語られている。

 

……というのが、真面目な話。

 

久しぶりにAge of Empires(エイジオブエンパイア)なんてやってたんですよ。

なんかゲームやりたくなっていろいろ調べていたけどピンとこなくて、大昔にやったことがあるエイジオブエンパイアをSteamで購入したのです。

で、やっていて気がついた。

自分の特性に。

 

ゲームしてて何が面白いかというと、「敵を攻めるとき」じゃなくて「防御を固めるとき」。

最低限の防御を固めて、フットワーク軽くさくさくすすめる人もいるのだろうけど、自分の場合それは絶対にない。

敵の攻撃とかどうでもよくて、とにかく絶対的な防御態勢を築いている時が楽しい。

 

これ、完全に自分の性格が出ているよね。

普通に質問に答えたりしていてもなかなか気が付かない点だと思う。

戦略ゲームって意外と自分の性格把握に役立つんじゃないか!?

 

自分の場合、まず街の中心を壁で囲って防御の塔も立てて頑強な防御を固めたあとに徐々に開拓していく。

いきなりどんどん兵隊を生産して突っ込んだりしない。

まずは防御を固め、仮に攻撃部隊がやられたとしても本陣がダメージ受けないように十分に用意し、そこまでやってから初めて攻撃に移る。

こんな性格だから、マルチプレーとかやったらとろすぎて負けるに決まっているので、CPU戦しかやらない。

勝ち負けを争うのが好きなんじゃなくて、自分の思う順序で進めていくのが楽しいんだ。

 

このプレースタイルからいろいろ見えてくる。

 

・他人と争って勝敗を決めるのはあまり好きではない。

 考えてみるとそうだなぁ……。IQがわかるゲームとか嫌いだし。

 勝った負けたより、自分が納得できるかが一番みたいだ。

・安全がすごく重要

 防御をがっちがちに固めないと動けないほどに危険に過敏

・制御されたリスクしか取らない

 最悪のでも攻撃部隊が全滅以上のリスクは取らない。

 町の方に敵兵がやってくる可能性があれば絶対に攻撃をしかけない。

・攻撃より防御が楽しい

 攻撃していって敵を倒すより、防御を固めておいてそこへ攻めてきた敵兵が勝手にやられるのが快感。

 

「軽いフットワークを活かしてリスクを厭わず果敢に攻める」と正反対の性格だということがありありと浮かび上がってくる。

うを~~~~~(汗;

 

◇追記

・勝負ではなく作業が好き

勝つか負けるかの要素がないほうが好き。

単純に開拓したり資源集めたりが好き。

自分のプレイだと「(開拓の邪魔されたくないので)難易度を極度に軽くし」「資源を不必要に集め」「陣地をしっかり防壁で囲い」「人口・戦力を拡充しまくり」「絶対に負けるわけがない状態で戦う」ことになる。

勝つか負けるかのハラハラが好きではないので、単純に敵は作業として淡々と平らげていく。

戦いにおもしろさを感じていない。

・上から観察するのが好き

ありの観察に通じるんだけど、上から動きを見ているのが好き。

AOEもそんなかんじでやっているので、敵に噛みつかれるといらっとする。

アリを観察していて攻撃されるとは思わないのと同じように、こういうゲームでも敵に設備とか壊されるといらっとする。

こっちが用意した通りのステージで敵が右往左往するのを見るほうが好きなのである。

戦いたいのではなく、眺めていたいのである。

忙しさとやる気

脳みそは脳内化学物質で動いているので、すべての要素は有限である。

思考量も限界があるし、やる気だって限界がある。

 

だから、頑張りすぎれば消耗する。

当然である。

 

休めば回復する。

当然である。

 

じゃあ、超休めば超やる気が出てくるかというと……案外そうでもない。

なんで?

休みでめちゃくちゃダルーヒマーってやっていても、やる気なんて一切出てこない。

 

ちょっと忙しいくらいが一番やる気が出て、必要なこともできれば、さらに遊ぶ気も出てくる。

それぐらいの忙しさが人生にはちょうどいいのだろうか。

 

◯ダメな例

・超暇

やる気もでてこないので、遊びも楽しめない。

というかまともに遊べない。

 

・超忙しい

消耗して体力的・精神的にやばい。

上記で言う脳内化学物質とかが完全に限界迎えていると思う。

素で居ることの幸せ

素で思ったことをそのまま表現できることって滅茶苦茶幸せじゃない?

え、そう思わない?

 

そう思うあなたはとても恵まれているっっ!

 

まぁ、子供だってプライドはあるし、恥ずかしさもあるので、思った通りのこと全てを表現できているわけではないのである。

表現できている子供もいるだろうが、表現できていない子供もいる。

自分は表現しきれていなかったと思う。

表現すると怒られることもあったしね。

表現すると怒られるから真面目にしなきゃ、というのを学習しちゃった。

それがよくもあり、悪くもあった。

 

そして、大人になればなるほどいろいろ求められるので、どんどん自分を抑えて、恥ずかしい部分をどんどん隠すようになる。

思い出せないけど、いろいろあったはず。

さらに社会人になるための就活となれば、精神的に完全武装することになる。

もう、完全に別人を演じているよね、あの就活というやつは。

そして社会人になれば、気合入れて演じるわけです。

気合入れてもたかがしれているけど、逆に言うと気合を入れないとそのレベルにまで達しないので、めっちゃ気合入れて生きるわけです。

でもまぁ、所詮演技なので、滅茶苦茶疲れます。

でも、だんだん慣れてきて、少しは素を出せるようになって、当初ほどガチガチにならなくてもなんとか行きていけるようにはなります。

ちょっとよくなってきた、と思った。

ところが、今度は慣れたということで仕事がどかどか来るようになっていっぱいいっぱいになってくる。

でも、少しよくなったとはいえ、やっぱり演技しちゃうので大丈夫なふりをしちゃったり、逆に疲れまくっちゃってこれ以上仕事振られないように実際以上に潰れているふりをしたり。

要はプライドのための演技や自分を保護するための演技をするわけです。

 

ということで、恥ずかしいことを隠したり、自分を立派に見せたり、あるいは自分を保護するために演出したりと、わりと演技することが多いわけです。

で、これがとってもストレス溜まる。

平気な人は平気なんだろうけど、自分は滅茶苦茶ストレス溜まる。

 

時々、自分の状態と表現していることが100%一致している時があると、なにかとっても幸せな気分になるんだよね。

たとえそれが悪いことであっても、意外と気分は悪くない。

 

心:凹んでいる 表現:凹んでいる表現 → 楽しくはないけど、素直に表現しているので不思議な開放感がある

心:凹んでいる 表現:大丈夫ですよ~ → 内心でさらに凹んでいく

心:ちょっと凹んでいる 表現:とても凹んでいる → 必要以上に凹んでいる表現をすると心が更に凹んでいく

 

いいことでも悪いことでもそのまんま表現できたら幸せだな、と。

どうも格好良く生きていくのは難しいということがわかったので、そっち方向へ向かって行きていければ幸いだなぁ

【仕事】「出来ません」と言えない人は潰れちゃう件

大変なことであっても前向きに「やってみます」と言ってがんばることは、文句なくすばらしいことだと思っていた。
今の自分には困難なことに挑戦して自分の能力を伸ばしていく。
なんて素晴らしいんだろう。

そう思っていた。

が、ちょっと前までの自分や同じ職場の素直な人を見て、考えなおしている。
それについて、まとめたい。

「質の難しさ」と「量の難しさ」

普段あんまり意識していなかったが、よく考えてみると大変なこと・難しいことには「質」と「量」の二種類がある。

「質」は例えば「おもしろい小説」だとか、部品であれば「高精度」、製品であれば「高性能」「新技術」だ。

「量」は「超長編小説」「大量」「短納期」だ。

反射的に「これは難しい」と思うとき、「質的に難しい」のか「量的に難しい」のか考えることは重要だと思う。

「質の難しさ」は成長につながる

「質の難しさ」はその仕事が要求するスキルが現在の本人のスキルより高い場合だ。そもそも最初は誰もがスキルなんてクソ低いので、避けようがない。あんまりにも無茶なものは無茶だが、ある程度経験していないと成長できない。程度はあるが積極的に引き受けることは悪く無いと思う。
そして、難しく感じたものもスキルが上がればいつのまにか普通にできるようになっている。

要は普通にレベルアップ可能。
とっても感覚的な表現だが、経験値を貯めることでレベル100ぐらいまで突き進んでいける。

「量の難しさ」はちょっとやばい

作業量を簡単に式で書くとこうなる。

作業量 = 時間あたりの仕事量 × 時間

時間あたりの仕事量を増やすには、「効率化」か「人数の増員」するしかない。
しかし、そもそも人が足りないから「量の難しさ」に直面しているのであって、人数の増員はほとんど期待できない。となると「効率化」にすがりたいのだが、これも限度がある。
「面倒なエクセル作業」程度なら「マクロで自動化」とか方法論もあるが、まぁ、そう簡単に効率化できることばかりではない。(皮肉な話だが、効率化するにもそのための準備時間が必要。忙しい仕事をこなしながら効率化なんてできやしない)
気合で多少は効率化できなくもないが、人間は疲れるので気合の効果は短時間にすぎない。

となると時間を増やすしかなくなる。
しかし、時間を増やすと効率が低下し、さらに長時間労働が必要になる。
まさに悪循環。

最初の段階では「効率化」というレベルアップはある程度可能だが、これにはすぐに限界が来る。
(少なくとも小手先でできる効率化は限度がある。会社全体の仕組みを変えるとかすれば別だけど)

これも感覚的な表現だけど、レベル5ぐらいでカンストする。
それ以降は長時間労働しか手がなくなる。

「難しすぎる」が降ってくるときは組織全体がやばい時

本人の成長のために「質的に少し難しい」、あるいはやむを得ず「量的に少し難しい」仕事が来ることはある。
それはまぁ、ギリなんとかなるはず。

問題は「質的にすごく難しい(絶対に無理)」「量的にすごく難しい(普通に考えて間に合わない)」という仕事が降ってきた場合。
当たり前だけど、仕事というのはそれが「できる」人に回すもの。
あきらかに回せない仕事が回ってくる事自体がおかしい。

そういうときは管理者自身が溺れている。
管理者が担当者たちを管理しているはずなのだが、実際は管理者も自分の仕事を抱えていて全く管理できていない。
管理できていないから無茶が降ってくる。

まとめ

なにか大変なことがやってきた時、
「質の難しさ」なら経験者のフォローをお願いした上で挑戦してみるといいんじゃないだろうか。
が、「量の難しさ」なら「そのスケジュールでは出来ません」と言って交渉しよう。

そして、量的にも質的にも「すごく難しい」ものが降ってきた時は、その組織がやばい。
可能なら距離を置こう。(無理な場合が多いけど……)

とにかく「出来ません」という言葉は必要だと思う。
潰れると悲惨だから。

【TED】夢を駄目にする5つの方法

TEDの動画を見ていて夢をダメにする5つの方法という面白い動画を見つけたので、要点をまとめたいと思う。

一夜の成功を信じること

時々「偶然やった”なにか”でいきなり大成功」みたいな話を聞くけれども、実際には膨大な積み重ねの上で成功した場合がほとんど。という話。

これは本当にそうだと思う。
他のところで聞いた言葉で「失敗には理由がある。成功には理由がない」というのがある。
そして、「成功の方法は分からないが、失敗を繰り返さない方法はある」。
失敗した時にその理由を考えてずっと改善していく。
そうすると失敗が減っていき、いつの間にか成功している。
成功なんてそんなものらしい。

結局、失敗と改善の繰り返しなのだ。
成功というのはそれまでの積み重ねを集大成した結果であり、なんの積み重ねもない人にある日突然訪れるものではない。

誰かが答えを持っていると信じること

「いろんな人がこうするべきだと言ってくれるが、あなたの人生に完璧な答えを持っている人はいない」という話。

これはある程度同意するけど、ちょっとそのまんま受け取れない。
人生クラスになると、たしかに自分の人生の答えを持っている人はいないかもしれない。
しかし、仕事や商売であれば同じようなことをしてきた人はたくさんいて、しかも成功した人はそういった知識を分ち合おうとしている。
そのまんま活用できたりちょっと応用すれば使える知識なんて、本やネットの中にいくらでもある。
(まぁ、学習量が必要なので時間はかかるけど)
そういった知識を投げ捨てて進むことがいいとはとても思えない。
それに、実は人生クラスの重い問題だって性格や経歴が近い人は自分にとって役立つ見解を持っている。

だから、自分としては「(偶然そばにいる)誰かが答えを持っていると信じること」と言い換えたい。
要は「起業したいのにサラリーマンの父親の意見を聞く」とか「プログラミングの知識なんて全くない母親にどのプログラミング言語がいいか意見を聞く」みたいに、手近だというだけで見当違いな人に意見を聞くなということ。
知識がない人の適当な意見は無駄などころではなく、はっきり悪影響がある。
意見を聞くのであれば、「自分が進もうとしている道をすでに先に行っている人」に聞け!と。

まぁ、結構多くの人が「自分は自分だけのオリジナルの道を行くんだ、人の意見なんか関係ない!! うをぉぉぉ!」となっちゃうんだけどね。
だいたいそういうこと言う時の「人の意見」って自分の両親や友達の意見なんだよね。
たしかに、あなたが進もうとしている道に関して、自分の両親や友達の意見は関係ないかもしれない。
でも、「自分が進もうとしている道をすでに先に行っている人(専門家)」の意見は超絶関係ある。
聞いておけっっ!
全部同意できなくても、参考になるところだけ吸収するだけでもぜんぜん違うんだから。

成長が確実になった時にそこに安住すること

要はうまく行っている時でもベストを尽くしてもっとうまくいくようにしろ、ということ。

理屈はわかるし同意するけど、それは戦略次第じゃないかなぁ。
急速に拡大する会社経営とかならとにかく、ゆっくり大きくなる戦略とかもあるわけで。
あんまり急速なのは組織が壊れる、市場を壊す、とかもあるわけです。

「油断をして気合を抜くな」という意味ならそうだと思う。

失敗の他人のせいにすること

これは完全同意。

結局、何かしようとするには自分で手綱を握らなければならない。
失敗の原因がなんであろうと、「あいつのせいだー」と言って終わってしまってはなにも出来ない。
とにかく自分で行動しないといけない。

もっと正確に言うとダメなのは「他人のせいだからといって自分ではなにもしないこと」かな。
失敗が誰のせいであろうとも、自分が行動しなければなにも変わらない。
自分だけが行動してもダメなら他人を巻き込むことを考えなきゃいけない。
それでもダメなときは……さらに別の方法を探すのだよ。

結果が全てだ、と信じること

要は「結果だけ見てプロセスを無視するな」ということ。

人生論的にも成功論的にも同意。

人生論的には、
結果が華々しい(大儲け・有名になるとか)であったとしても、プロセスが苦痛でしかなければ、人生は苦行でしか無い。
プロセスが楽しいことをやるべき。

成功論的には、
プロセスがあって結果があるので、プロセスに着目して改善していかないと成功なんてありえない。
(成功は失敗と改善の繰り返しの結果なので)
結果だけ追い求めてプロセスを軽視していたら、一生成功なんてしない。

まとめ

あれ……。
実は動画を見た時は「完全同意」な感じでこの記事を書いたんだ。
でも、実際に書いてみたらいろいろ違和感があるところが出てきた。
やっぱり人に説明しようとすると、自分の知識と融合してもっと深く考えられるんだね。

人に説明することは大事だな~