2016年 1月 の投稿一覧

小説が書けないよ、といういつもの話

小説って書こうと思ってもなかなかかけない。

というのはいつもの話なのですが、そうはいっても新下駄配列の練習をしたいのでブログでも書いてみるかの言う話。

ちょい前はそれでも何がしか書いていたのでそこそこ練習にはなったのだけれど、今は本当になにも思いつかないので練習にもなりはしない。

ということで、もうただひたすらにこんなブログを書いてみる。

もう本当に頭が動いていない。

むむむむ

 

書きかけている短編があったんだけど、最初に浮かんでいたイメージが雲散霧消してしまって、かきかけのまま放置中。

イメージで書くので、イメージが飛んでしまうとどうにもかけない。

仕方がないから別のものを……と思わなくもないんだけど、なかなかそんな気分にもなれず。

要はその気にならんのですよ。

ああああ~~

なんでしょうね。

毎日書いている人とかすごすぎるよ本当に。

プリキュアの変身バンクすごいな……

自分プリキュアとか女児アニメとかを熱心に見ているタイプじゃないのですが、朝テレビをつけたらド派手な変身の最中のプリキュアがやっていて、思わずちょっと見ちゃいました。

そんで、「そういえばこういう作品の変身バンクってどんな感じなのだろう」とニコニコで検索して見たのです。

そんでみてみたら、各シリーズごとに衣装含めて好みはあるんだけど、まぁこれがどれもこれもカメラワークの動きもダイナミックだし、演出もよく思いつくなレベルで、普通に関心したのです。

まぁそりゃ長寿なシリーズで一流がたくさん活躍しているに違いないけど、想像以上に高クオリティで驚いちゃいました。

よくあれだけいろんな演出ができるな……と。

あとこれだけ動かすのに一体どれだけの手間がかかっているのかと、想像しながらちょっとめまいがしました。

 

小説とは関係ないけど、すごいものを作るにはやっぱり手間かけて頑張らないといけないなぁ……とか感じた今日このごろ。

冷えると小説とか無理じゃない!?

冬です。

間違いなく冬です。

こういう寒さの中創作できる人は一体どういう人なのだろうか。

ほんとうに不思議でしかたがないんだよね。

 

自分の場合、楽しい気分になってその余裕から湧いてきたものを文章にしている。

なので、寒いとか具合悪いとかほんの少しでも悪いものがあると創作とか出来へんねん。

足冷えるです。

乾燥するです。

冷え性かもです。

新下駄配列の練習中のため、文章を打つのが超遅いです。

 

これじゃかけないよね~……

といういいわけです。

映画は見るより解説を聞くほうが楽しい

新下駄配列の練習のために、また適当になんか書いてみるのだけれども……

 

最近、宇多丸のシネマハスラーとか聞いて楽しんでいるのだけれど、実は自分は映画をあまりみない。

たまには見るんだけど、見て思うのは自分は本当に映画好きではないということ。

映像作品を見て楽しむということはなくはないんだけど、どうしても没入するには時間が必要で、アニメでいう1クールぐらい無いとなかなか乗れない。

(とはいえ、ブレーキングバッドは長すぎて最後まで見れなかったけど」

なんかイマイチな作品も多いしね。

 

そんな自分だけど、映画批評はすごく楽しく聞ける。

最近思うのは、自分は物語というより人が感情豊かに話しているのを聞くのがすごく好きなんじゃないかと。

落語だって、結局は演者が一人で感情豊かに語ることだし。

同じ話だとしても演者が淡々とやっていたら全く面白くない。

シネマハスラーも感情豊かに吠えまくっているから楽しい。

もっとも感情が乗っているのが酷評の時だったりするので、絶賛より酷評回のほうが好みだし。

あの人のけなし方は本当に気持ちいい。

そして、メディアであそこまで堂々と酷評できる神経が羨ましい。

自分も他の作者もそうだけど、アマチュア作家の作品って読者からのツッコミや批判を恐すぎてトンガリをなくしていることが多い。

もっととんがったセリフとか主張をしたくても、来てもいない批判を恐れて丸くしちゃう。

たとえばきついセリフを和らげてしまったり、その世界では当たり前であっても現代では受け入れ難い考え方をものすごくツッコミをいれたりして茶化しちゃったりする。

ちょっとマジになると「いやいやこれギャグですから」とばかりにおどけてしまう。

多分作者はこれを言いたいんだろうということであっても、そんなざま。

まぁ、あんまり作者の主張ばかりガンガン語られる小説もいやだけど、作者がやりたいことが批判を恐れて全然できていない小説なんてつまらないよね。

実際自分もそういうつまらないものばかりなんですが。

 

う~ん、誰の目も気にせずにガンガン言いたいこと書きたいことをオープンに発信できるような人になりたい。

でも批判が来たら凹むだろうなぁ。

なれればなんとかなるものだろうか。

ブログ程度ならほとんど誰も見ていないし、普通コメントなんてつかないから結構自由に書けるけど、人目に触れるなろうじゃなかなか勇気が出ない。

それでもそろそろみんなに忘れ去られつつあると思うので、もっと自由に色々吠えてみたいと思う今日このごろなのです。

大人になると世界のスケール感が変わる

なんかだいそれたことをいいそうだけど、そんなことはない。

すごい小さな話です。

 

小学生・中学生の頃にやったRPGを今更引っ張り出してきて、懐かしさ半分でプレイすることが何度かありました。

その時に感じたのは

 

「あれ? このゲームに出てくる世界ってこんなに小さかったっけ?」

 

ということ。

アサシンクリードのように高画質で超広いゲームに慣れてしまったせいもあるかもしれませんが、なんか昔のイメージと比較して妙に狭く感じます。

例えばゼノギアス。

いろんな町やワールドマップが記憶にも残っていて、「大きな世界の壮大な物語だったよなぁ」というのが印象です。

で、懐古的に思わず結構遊んじゃうと、なんだか違和感がどんどん膨らんできます。

 

「あれ? このダンジョンこんなに狭かったっけ?」

「あれ? ワールドマップにこれしか入れるところなかったっけ? この三倍はスケールあったような……」

「あれ? このイベントこんなにあっさりだっけ? もっと衝撃的だったような気が……」

「あれ? もうこんなところまで来ちゃったの? もっと長い道筋だったような……」

 

とにかくすべてのスケールが記憶の3分の1ぐらいしか内容に感じてしまいます。

なんだこれは、と。

そしてこんなことを思います。

 

「なんか、すごく小さな世界に人が数百人ぐらいしか住んでいなくて、数十人しか住んでいない集落レベルの集団が『この都市はすごいだろう』とか言っているようにしか見えないんですけど。すごいメカが色々出てくるけど、それの基礎になっている工業施設や発電所はどうなってるの? なにもないところからいきなり湧いてきてるとしか思えないんだけど。この世界の設備とスケールじゃこんなもの製造できないよね」

 

そういうところに突っ込むのは無粋ではあるのかもしれないけど、どうにも気になってしまう。

子供の頃はそんなこと全然思わなかったと思うんだけど……

むしろ、「広い、すごい」と喜んでいたぐらいだと思うんだけど……

 

まるで作者の視野が狭すぎて半径50cmぐらいのことしか考えられていないダメな小説を読んだ時のような感覚に陥りました。

なんでだー

 

子供の頃は世界といえば学校くらいで、自分が想像できる世界も狭かった。

だからあんなスケールでも広く感じたし、ゲームに不慣れだったのですべてが新鮮だったのだろう。

それから世界を知らないので「こんなんじゃなりたたないよ」とか「こんな人間はないだろ」とか「いやそれは不可能だろ」みたいなツッコミも湧いてこないので、別に作り物だという意識もわかない。

 

大人になるといくら会社と家の往復がほとんどといえ、さすがに子供の頃よりは知っている世界や普段見る世界も広がる。

じゃないと困る。

すると当然スケールは小さく感じるし、ゲームには慣れているから新鮮さは少ない。

そして現実と比較して「いくらなんでもこれはない」と感じるツッコミポイントをたくさん見つけてしまうので、作り物感がますますひどくなる。

 

ということで、スケールがとっても小さく感じたんじゃないかと。

それにしてもこの感覚は小説も全く同じなんですよね。

小説を読んでいて「なんだこのスケール感のなさは。これで読者が信じて楽しんでくれると本当に思っているのか!?」と憤慨することがよくあるのですが、これが原因かと。

多分そんな小説も自分のスケール感が小さいこどもの頃だったら何の問題もなく楽しめたんでしょう。

 

子どもと大人じゃスケール感が違うのは当たり前ですが、普段それをわかりやすく実感することがないので、昔プレイしたゲームをまたやるというのはその差異を実感するいい機会でした。

いや、ほんとに。

 

 

 

※全然関係ないけど、昔の物語を読むと農民がとなり町に行くことが大イベントのように書かれていて、普段の生活のスケールの小ささとその人たちの世界のスケール感を想像してクラクラした。そんなスケールで暮らしていれば、大人になってもそんなに感覚が変わらないかもしれない。

新下駄配列になかなか慣れないという話

いや、練習を初めて一ヶ月?ぐらいしか立っていないのに、お前は何を言っているんだ。ってはなしではあるんだけどね。

12/19にnicolaを諦めて新下駄配列をやるという記事を書いているから、本当に約一ヶ月だ。

ちなみにこれも新下駄配列で書いています。

ローマ字の3分の1ぐらいの速度で。

おっそーー………

 

いやいや、所詮キーボードの配列なんて慣れが一番だから、それなりに時間がかかるのは当たり前なんだけど……でもやっぱりストレスが半端ない。

 

・どこを押すべきかわからなくなって手が止まる

・普通に押し間違えまくる

・キーボードをみても、当然刻印してないから打てない

・ローマ字入力だとホームポジションを無視して打っていたけど、この配列だとホームポジションが外れた途端にどこ押していいかわからなくなるので、ホームポジションを死守する必要あり。手首を固定したまま指だけであちこちのキーを押すので、今まで使っていなかった筋肉を使っているようで結構手がつらい。

・時々ローマ字で打とうとしちゃう

・どうしても右手と左手が混ざってしまう。特に左手人差し指の「ん」と右手人差し指の「う」を間違えまくる。そのほかにも、よく使う文字ほど左右を間違えやすい。

・もちろんくそ遅い

 

とまあ、なんでこんなに苦労してまで練習しているのかよくわからなくなる時があります。

極めた時に超快適な入力環境ができると信じて励んでいるだけです。

とりあえず、nicolaやorz配列だと親指と小指が相当つらかったけど、新下駄はまだましです。

だからローマ字以外ではこれが最善に違いないと自分に言い聞かせながら耐える毎日です。

 

このすごい遅い状態で小説も少し書いてみたのですが、自分の書き方だと思いついた文章を忘れないうちに一気に打鍵するスタイルなので、正直この速度と神経が配列に行っている状態では大変厳しいとしか言いようがありませんでした。

うん、ブログでもちょっとつらい。

なんて書こうとしていたのか、一行打っている間に忘れる。

これがいつか開眼すると夢の様な執筆環境になるんだ……そう信じてブログとか書いてみるのです。

とりあえずこの状態では小説は厳しいのでブログを量産していこうと画策しています。

 

やっぱり書くテンポが悪いので、文章がいつもと違う気がする……

もともと美文とは程遠い文章だけどさ。

PCの電源がうるさい……

デスクトップPCのグラボはRadeon HD4350という化石かつ低性能なものを使っている。

しかしちょっと3D性能が欲しくなってきて、古いながらもそこそこの3D性能があるRadeon HD5770を押入れから引っ張りだしてさして見る。

いろんなベンチマークが動いて満足。

じゃあ、なんでいままで使わなかったかというと、なぜかこのグラボを使うと電源が鳴くんだよ……

 

ということで、昨日からいろいろやって見た。

 

電源ユニットにオトナシートを貼ってみる → 筐体が共振しているわけではないようで効果なし

ホットボンドを買ってきてコイルを埋める → ちょっと小さくなるものの完治せず。なんか基板全体で鳴っている

 

あー、だめだ……orz

ボンドで固めてもダメなら正直打つ手ないわ……

やっぱり低性能なHD4350に戻さないとダメだろうか……

電源ユニットを買い換えたとしても収まるとも限らないし。

 

なんだかとっても残念なことだ。