大変なことであっても前向きに「やってみます」と言ってがんばることは、文句なくすばらしいことだと思っていた。
今の自分には困難なことに挑戦して自分の能力を伸ばしていく。
なんて素晴らしいんだろう。
そう思っていた。
が、ちょっと前までの自分や同じ職場の素直な人を見て、考えなおしている。
それについて、まとめたい。
「質の難しさ」と「量の難しさ」
普段あんまり意識していなかったが、よく考えてみると大変なこと・難しいことには「質」と「量」の二種類がある。
「質」は例えば「おもしろい小説」だとか、部品であれば「高精度」、製品であれば「高性能」「新技術」だ。
「量」は「超長編小説」「大量」「短納期」だ。
反射的に「これは難しい」と思うとき、「質的に難しい」のか「量的に難しい」のか考えることは重要だと思う。
「質の難しさ」は成長につながる
「質の難しさ」はその仕事が要求するスキルが現在の本人のスキルより高い場合だ。そもそも最初は誰もがスキルなんてクソ低いので、避けようがない。あんまりにも無茶なものは無茶だが、ある程度経験していないと成長できない。程度はあるが積極的に引き受けることは悪く無いと思う。
そして、難しく感じたものもスキルが上がればいつのまにか普通にできるようになっている。
要は普通にレベルアップ可能。
とっても感覚的な表現だが、経験値を貯めることでレベル100ぐらいまで突き進んでいける。
「量の難しさ」はちょっとやばい
作業量を簡単に式で書くとこうなる。
作業量 = 時間あたりの仕事量 × 時間
時間あたりの仕事量を増やすには、「効率化」か「人数の増員」するしかない。
しかし、そもそも人が足りないから「量の難しさ」に直面しているのであって、人数の増員はほとんど期待できない。となると「効率化」にすがりたいのだが、これも限度がある。
「面倒なエクセル作業」程度なら「マクロで自動化」とか方法論もあるが、まぁ、そう簡単に効率化できることばかりではない。(皮肉な話だが、効率化するにもそのための準備時間が必要。忙しい仕事をこなしながら効率化なんてできやしない)
気合で多少は効率化できなくもないが、人間は疲れるので気合の効果は短時間にすぎない。
となると時間を増やすしかなくなる。
しかし、時間を増やすと効率が低下し、さらに長時間労働が必要になる。
まさに悪循環。
最初の段階では「効率化」というレベルアップはある程度可能だが、これにはすぐに限界が来る。
(少なくとも小手先でできる効率化は限度がある。会社全体の仕組みを変えるとかすれば別だけど)
これも感覚的な表現だけど、レベル5ぐらいでカンストする。
それ以降は長時間労働しか手がなくなる。
「難しすぎる」が降ってくるときは組織全体がやばい時
本人の成長のために「質的に少し難しい」、あるいはやむを得ず「量的に少し難しい」仕事が来ることはある。
それはまぁ、ギリなんとかなるはず。
問題は「質的にすごく難しい(絶対に無理)」「量的にすごく難しい(普通に考えて間に合わない)」という仕事が降ってきた場合。
当たり前だけど、仕事というのはそれが「できる」人に回すもの。
あきらかに回せない仕事が回ってくる事自体がおかしい。
そういうときは管理者自身が溺れている。
管理者が担当者たちを管理しているはずなのだが、実際は管理者も自分の仕事を抱えていて全く管理できていない。
管理できていないから無茶が降ってくる。
まとめ
なにか大変なことがやってきた時、
「質の難しさ」なら経験者のフォローをお願いした上で挑戦してみるといいんじゃないだろうか。
が、「量の難しさ」なら「そのスケジュールでは出来ません」と言って交渉しよう。
そして、量的にも質的にも「すごく難しい」ものが降ってきた時は、その組織がやばい。
可能なら距離を置こう。(無理な場合が多いけど……)
とにかく「出来ません」という言葉は必要だと思う。
潰れると悲惨だから。
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