かっちり脳とふわふわ脳とそのコミュニケーション

人工知能について考えていて、「人間はかっちり脳とふわふわ脳でできていて、その間の通信はこんな感じ」というアイディアが浮かんだのでちょっと書いてみる。

 

■かっちり脳

論理的な部分。意識領域。

物事をデジタルで扱う。

物を数えたり、計算したり、「AならばB」みたいに物事を記号的に捉えたりする。

言語野と接続されているので、ここで考えたことは厳密に言葉や図表で表現できる。

逆に言うと言語で説明できないようなあやふやなことはここでは扱えない。

そして計算が遅い。

一秒間に数百万回の計算なんかできない。

せいぜい一秒に数回程度。(論理的な思考全般)

 

■ふわふわ脳

非論理的な部分。無意識領域。

物事を確率的というかアナログのベクトル集合みたいに扱う。

意識領域(言語野につながっている自意識。しゃべっている我々自身)には直接接続されていないので、言語や記号に落とそうとするとだいたい上手く行かない。

 

※「君の今感じていること全てを文章で全て正確に説明しなさい」

無理。

記号や言語に落としやすい部分を言語に変換するのが精一杯。それにも漏れが多分にある。

巨大なアナログのベクトル集合みたいなものを、言語というデジタル的な要素数個で正確に表現することは不可能。

 

そして演算能力が半端ない。

全身の皮膚感覚・視覚・聴覚・味覚すべてを処理している。

数百Mとか数ギガとか、もしかしたら数テラのデータを毎秒処理しているかもしれない。

 

■かっちり脳とふわふわ脳のコミュニケーション

人間はこういう2つの性質が違う脳機能で成り立っていると非常に良い。

視覚や聴覚から食べ物や危険を見つけるにはふわふわ脳が大活躍する。

逆にかっちり脳は遅いからそんなので視覚の処理していたらおそらく一枚の映像から食べ物を探すのが一日仕事になってしまう。(多分本当にそれくらい遅いと思う)

そして、罠を仕掛けたり道具を作るには手順を考えることが出来るかっちり脳が活躍する。

かっちり脳だけだと処理が遅くて歩きまわることすら出来ないし、ふわふわ脳だけだと食べ物を求めてひたすらさまよい歩くことしか出来ない。(爬虫類レベルかそれ以下)

 

ただ、問題はこの2つの脳みそがどうやって通信しているか。

片方は一秒に数個のデータしか処理できない超鈍足。しかもデジタル。

片方は一秒に数億以上のデータを処理している超俊足。しかもアナログ。

どうやったって、まともに通信できない。

そこでここは速いほうが遅い方に合わせている。

しかも信号処理も遅い方に合わせている。

 

ふわふわ脳は大量のアナログデータだけどそのまんまじゃー、かっちり脳には渡せない。

そもそもかっちり脳は鈍足だし、メモリ(ワーキングメモリ)が数個しかないので渡されたベクトルを保持することすら出来ない。

そこで中間に通信用の仕組みがある。

それがシンボル。

「熱い」「痛い」「おいしい」といった身体感覚や言語で使う単語類。

そういったかっちり脳が認識できるレベルの「シンボル・記号」がかっちり脳とふわふわ脳の間にずら~っと並んでいる。

そのシンボルにはそれぞれ明るさの調節ができるランプがついていて、かっちり脳とふわふわ脳はそのランプの明るさを変えることで通信する。

なんというか、いろいろ不正確な上まどろっこしいが、かっちり脳が鈍足で扱えるデータが少ないからしかたがない。

 

例えば平坦で何の障害もない道を真っ直ぐ歩いていて、それに浮いている雲を見たとしよう。

すると雲がバナナみたいな形に見える。

そこでふわふわ脳はシンボルたちのランプを光らせる。

・雲:最大輝度

・ばなな:最大輝度

・りんご:ちょっと光る

・笑顔の口:そこそこ光る

するとかっちり脳が「あ~バナナみたいな雲だ~。ちょっと笑っている口っぽいかも」とか思って、ひとりごとでつぶやくということが可能になる。

かっちり脳に伝わらないと言語にならない。

ちなみにこの時歩くという行動は全てふわふわ脳が処理しているので、かっちり脳はなにも処理していない。

細かなバランス調整もふわふわ脳がやっているし、自動操縦状態。

「あ、この道行かなきゃ」とか思うときだけかっちり脳がふわふわ脳に司令を出しているだけ。

 

逆にかっちり脳から働きかけるとき。

「怒りのあまりバナナを友達のアナルに突き刺しました」という酷い文章を見る

→ふわふわ脳がパターン認識して「怒り」や「ばなな」シンボルを光らせてかっちり脳に通知。と同時に各単語に関連するふわふわ脳の中のイメージも活性化。(この時点で「バナナ」「怒り」「突き刺す」のイメージがふわふわしている)

→かっちり脳が順序関係や因果関係を整理。「(誰か)が怒っている」→「行動(バナナを突き刺す)」。

※この因果関係もふわふわ脳に経験や常識を問い合わせしていると思う。

→さらにかっちり脳が「バナナを友達のアナルに突き刺す」のイメージを構築する。イメージ自体はふわふわ脳の中にあるけど、それぞれが分離した状態。「人がなにかを突き刺す動作」のシンボルを呼んできて、さらにその手に持っているものをバナナに置き換える。そしてその突き刺している人の前に突き刺される人を配置する。

→こうしてふわふわ脳の中に「怒りのあまりバナナを友達のアナルに突き刺しました」というシュールな絵が完成する。

 

ちなみに文章を高速で読むと、かっちり脳の処理が間に合わない状態になるので、ふわふわ脳が描くイメージの断片は分かってもかっちり脳が処理するはずの因果関係がよくわからなかったりする。

そういうことあるでしょ?

 

ちなみに、さっきランプが付いたシンボルで通信するだけといったけど、かっちり脳からふわふわ脳の一部イメージを置き換えみたいなこともできるんで、実際はシンボルに操作加える事も出来る。

ちょっとそのへんは・・・もう少しいい説明を考えよう。

シンボルといったけど、要は互いにポインタ渡ししてるんだよな。

そんで、かっちり脳からポインタを置き換えることが可能。

 

■その他

考えてみると、ふわふわ脳のお仕事量半端ない。

逆にかっちり脳の仕事量超少ない。

人間の意識なんて大したことなくて、偉いのは無意識領域なんだと思う。

どうも、かっちり脳なんて機能的には大したことはなさそうだ。

実際に脳で必要としている体積は別として、機能的にはかっちり脳はふわふわ脳のオプション的なものに過ぎない気がする。

そして、同じ経験を繰り返すとふわふわ脳が「毎回これか。もうかっちり脳に処理させなくていいや。前のパターンを再利用しよう」とかっりち脳を経由しなくなるので、なおさらかっちり脳の活躍の場がない。

最初は車の運転なんて考え事一切できないけど、慣れると運転しながらいろいろ考えられるよね。

それは、かっちり脳のワーキングメモリを使っているか使っていないかの差である。多分。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す