野崎まどの「know」を読んだ

長い休みというものはただグダるだけである。

計画があればまだしも、計画無しで休みに入るとひたすら人生の無為さを認識することになる。

なんだかな~~~

 

今日はひたすらグダっていて、こんなことしかしていない。

・野崎まどの「know」を読んだ

・髪の毛きった

・ひたすらタクティクスオーガをやっていた

・niconicoのひとゆきが北朝鮮に行った動画をながら見。でも長すぎてさすがに途中で止めた。

 

全然一日一新している気がしないけど、とりあえずknowを読んだのをそれとしよう。

実は昨日野尻抱介の「太陽の簒奪者」も読んだので、それと比較して……

※ネタバレありなので嫌な人は見ないように。

 

Q 好みは?

A 太陽の簒奪者

 

Q 理由は?

A 太陽の簒奪者は現代から始まるので、自然に没入できる。knowは世界観が嫌い。

 

Q knowの世界観が嫌いな理由は?

A 要は電脳を脳みそに埋め込んでいる世界なんだけど、それがと~っても嫌い。神経に侵食するデバイスは深刻な器質的な病気でもない限り、普通の人が使うものではないと思っている。それが普通の人が使っている世界というのは自分にはディストピアにしか感じない。今人間が使っているもので、脳や神経に直接アプローチするものって何だと思う。それは鎮痛剤みたいな薬や違法の薬物だよ。普通の食べ物や電子機器が間接的に脳を興奮させたり安定させたりすることはあるけど、それは直接神経物質や電気信号を脳みそに送り込んでいるわけじゃない。神経を侵食するデバイスを体に埋め込むって、ドラッグジャンキーになるのとほぼおなじことだと思うんだ。そんなものが普通に使われている世界がまともなものだとは俺はどうしても思えない。そういう意味で、攻殻機動隊もガジェットとかは好きだけど世界観はとても嫌い。

 

Q 太陽の簒奪者のいいところは?

A まず血に足がついた普通の世界から始まることと、異星人の圧倒的な技術力に驚きっぱなしでしかも実際にありえそうでセンス・オブ・ワンダーを感じまくりなところ。逆に、knowの方はそれはないだろうと思うところが多かったし。

 

Q knowの「それはないだろう」なところって?

A 列挙すると~

・一人の天才が全部作りました。いや、そんなわけないって。たった一人の天才で出来ることってたかが知れてるって。創作者はそういう設定好きだけど、中心になる人はいても現実ではすごい人がたくさん集まってすごいものを作っているのであって、すごい人一人で出来るものなんて限度がある。「その常識すら超えるすごい人なんだ」っていうことかもしれないけど、自分にはとても信じられない。過去の偉人だって専門知識がある他の人に到底理解し得ないことをしたわけじゃないんだから、こんな他の人に全然理解できないことをたった一人で全部やりました、なんて人がいるなんて普通に信じられない。

・ヒロインが事前の計算で銃弾避ける。いや無理でしょう。どんなに情報集めても事前にそこまで推測できるわけ無いだろう。リアルタイムでその場の人の動きや意図を取得して計算しないと無理でしょう。シーンとしては格好いいけど信じれない。

・ゲスな敵の登場。ラノベ的でいいけど、こんな人は居ないような……。どんなに優秀でもあれじゃ人に好かれるわけ無いから「こんな奴に権力もたせたら大変だ」と周りの人間が昇進させないと思うんだ。ラノベならいいけど、SFとしてみるとなんか説得性が下がるなぁ

・天才が量子脳を隠し持って幼児にインプラントしました。え、それ量産してない試作品でしょ? 絶対トラブル続出だろ? 量子計算機を整備できるような専用の大規模な施設を持ってないとそもそも運用できないでしょ? 「天才が隠れて凄いものを作って動かしている」って設定好きだけど、それができるのは「凄いもの=ソフトウェア」な時ぐらいだよ。ハードを動かそうとしたら機材や施設が必要だし、修理・回収の手間だって半端無いよ。物語って「どんな凄い代物も作っちゃえば後は個人でなんとか扱える」みたいな前提の設定多いよね。いや、無理だって。

(まぁ、自分が気にしているだけなので、こんなこと言ってたら殆どの物語読めないけど)

・ヒロインの存在が嘘くさい。いや~、まぁ常人と違う世界を見ているという設定だからなのかもしれないけど、あまりにも血が通ってなくて。そういう役回りなんだろうけど、格好いいシーン演出用のキャラクターにしか見えなかった。特殊な境遇なんだからそれなりに悩むと思うんだけど、そういう描写がない。認識能力が拡大したところでああいうふうな振る舞いになるとは思えないんだよね。そこは解釈次第だけどさ。

・あらゆるものにセンサや通信の役割をする材料が埋め込まれている。いや~そこは普通に電波インフラじゃないの? 仮にマイクロセンサやマイクロ通信機を作ったとしてもそれはどういう電力で動いているんだという。そもそもそんな経済性がどこにあるのかという。どうもこの世界のものって、科学的な原理が根底にあって動いているわけじゃなくて、魔法で動いているんだよな。魔法に科学的に見えるワードを貼っつけてある感じ。言いすぎかもしれないけど、感覚としてはそう感じた。

 

今考えなおすと「他人が書いた未来社会」というのはたいてい気に入らないということに気がついた。

未来社会を描いた作品はだいたい拒否反応がでる。

太陽の簒奪者みたいに異星人の正体や科学知識が問題になる作品だと、未来社会の姿そのものが興味の対象にならないからそれほど拒否反応が出ないんだと思う。

うーん、この性格的に未来の地球や日本を扱おうとしている作品はNGかもしれない。

 

今日捨てたものは使う予定がないグロー管。

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