人生ゲーミフィケーション

エースコンバットをですね、1時間ぐらいやろうと思ったんですよ。

そしたら気がついた時には4時間ぐらいやってたんですよ。

 

……なんでや!?

 

大抵のことってそんなに続かない。

なにかを見続けるだけでも、4時間は辛い。

100分ぐらいの映画ならとにかく、二時間半とかの映画はだいたい苦痛。

作業の4時間だったらもっと苦痛。

 

なのに、どうしてゲームはこんなに長時間プレイできるのか。

しかも、楽しく。

 

ということで、ちょっと考えてみることにした。

ただ、自分はゲームならなんでも好きなわけではないので、自分のゲームの好みから考えているだけです。

人によってはぜんぜん違うかもしれない。

 

■追記

パラサイトイヴを周回プレイしていて感じたことも追記

 

ゲームは集中する作業である

集中するというのは疲れる行為であるけれども、集中するということは脳みそがハイになるので実は楽しいことなのである!

集中して勉強している人と、だらだら注意散漫で勉強している人、どちらが心地よいかといえば前者の人である!

だらだらやっていると労力を掛けていないので楽そうに思えるが、そうではない。

だいたい注意散漫にしている時も実は結構脳みそ使っているのである。

「やらなきゃな~やる気でないな~そういえばあれは……」みたいに別のことに脳みそ使っているだけで、実はおやすみしてない。(寝てるかわざわざぼーっとしない限り脳みそはおやすみしてくれない感覚)

同じように脳みそ使うのであれば、何かに一つに集中したほうが楽しくて充実感がある。

(なんか文体が「である調」になっちゃった)

 

そんなわけで、ゲームという作業に集中できるとそれだけである程度楽しいのである!

逆に言うと集中できなければゲームだって楽しくないのである。

 

「簡単すぎる」ことはだめ。

「ボタンをおしっぱでクリア!」なんてのは簡単すぎて集中できない。

「集中しなければこなせない作業」というのがポイント。

 

「複雑すぎる(理解できない)」こともだめ。

集中するには必要なことを把握しなきゃならない。

なにがなんだかわからない状態では楽しみなど無く、ストレスしか無い。

「理解できること」がポイント。

 

ギャンブル性がある

人間というのは、「100%できること」や「100%できないこと」にはアドレナリンがでなくて「できるか出来ないかわからないこと」に最もアドレナリンがでるらしい。

だからこそ、当たるか外れるかわからないギャンブルにはまるわけだ。

上記の難易度と関係あるけど、ゲームは大体そんな難しさになっている。

気を抜いたら出来ないけど、気合入れたらできる程度。

100%できることだと「ヌルゲー」で面白くないし、あまりに難しすぎると無理だと感じてやる気を無くす。

難易度設定が素晴らしいゲームは良作!

 

論理的な脳みそをあんまり使わない

集中するんだけど、文書作成や小説で使うような論理的な脳みそは使わない。

普段使っている脳みそと違う部分をつかうから楽しいのかもしれない。

 

前に進んでいる感じがする

普通に暮らしていると、そんなに前に進んでいる感って感じない。

同じようなことを毎日しているような気がしたり、どうも壁にぶつかっているような気がしたり。

そんなにサクサク物事展開していかない。

しかし、ゲームだとレベルが上ったり新しい場所に行けるようになったり、前に進んでいる感じがするのが爽快。

 

 

ゲームは行動すると褒められること

例えばスコア。

お金やアイテムの概念がないゲーム(パズルとか)ではスコアしか無い。

このスコアが高いだけでなにか嬉しい。

お金にもならないし、なにかと交換もできない。

ただそこに数字があるだけ。

でも、それがうれしい。

要は人間、自分がやった行動をプラス評価されればそれだけで結構ハッピーなのである。

 

逆に「全てこなせば100点で、なにか失敗するたびに減点する」なんてゲームはどう思う?

そういうゲームもあるにはあるけど、自分は全くやる気がでない。

基本的には「がんばればがんばるほど評価があがる。その上、上限はないのが自分がやる気が出るポイント。

「上限がない」のは結構大事。

・「100点満点のテスト」は100点でなければ「(合格だとしても)なにか失敗をしたという残尿感」を感じる。

・でも、ゲームであれば「必要スコア3000」というステージで実際には5000や6000を狙える。

※最高値が見えたらつまらない。だってその最高値に達しないと「失敗」と考えてしまう。

・越えるべき「基準」があるだけなら、基準を超えた時点で「成功」なので、後はどこまで上に行けるかの遊びになる。

 

現実ではがんばったからといって褒められない事が多いし、自分が実感できないことも多い。

自分がやったことが「役に立った」という感覚があればそれが励みになるのだが、それを実感できずに意気消沈することが多い。

 

行動は即座に評価が下る

前項の「褒められる」に関連するが、評価がスピーディーなことが重要だと感じる。

敵を倒せば即座に経験値やお金が手に入る。

行動するとすぐに結果が出るので、その結果がよければどんどんやる気が出てくる。

それに対して、現実の殆どのことは即座に結果が出ない。

だから続ければいずれ結果が出ることであっても、途中では無意味に感じてやめてしまうことも多い。

ゲームの継続は「すぐに結果が出るから簡単」だが、現実のほとんどのことの継続は「なかなか結果が出ないから難しい」と言えると思う。

 

ゲーム以外の問題点

逆にゲーム以外のほとんどのものはなんでつまらないの?という事を考えてみた。

要は上に書いたことが満たされていないからつまらないのだ。

 

・がんばったことが評価される仕組みがない

がんばりを公平に評価してくれる神様みたいな人がいればいいけど、なかなかそういかない。

そもそもがんばりをどう評価するかというのもあるし。

「お金で数値化して評価」というのがあれば、それはそれで楽しいんだけど。

実際はほとんど変動しないんだよなぁ……

それが安心ということも人によってはあるかもしれない。

でも、自分の場合「がんばってもがんばらなくても評価が変わらない」というようにしか感じられないので、モチベーションがでない。

 

・基準がわからない

学生時代であれば「平均点」というものがあった。

それを超えれば「成功」。

後はその上をどこまでいけるか。

社会にでるととりあえず同僚とかとの感覚的な比較になる。

この問題は絶対に負け組がでるし、どんどん厳しくなること。

エリート以外はみんな「俺ダメだ……」ってなるし、エリート達だってその中の争いで摩耗する。

「競争があるから成長するんだ!」

そりゃそうかもしれないよ。

でも、楽しい競争と、悲壮感に満ちた競争があるでしょ?

「勝ち」と「負け」に別れる競争ではなく、「普通に勝っている人」と「めちゃくちゃに勝っている人」にわかれたほうがずっと幸せだと思う。

※難しいかな?やっぱり他人と比較するから、「基準」はクリアしてもどうしても「負け」と感じちゃう人はでるかも……

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