アニメの海外の反応が楽しすぎる

昨日の深夜も夜更かしして「海外の反応」を読み漁った。

そして今日も起きてからずっと「海外の反応」を読み漁っていた。

ここのところ全く何にも熱中できなかったのに、なんでこんなに熱中したんだろう。

それはもちろん、面白いからだ。

 

でも、なんで面白いんだろう。と考えてみた。

 

そもそも「他人の反応を見ることが純粋に面白い」ということに気がついた。

そりゃそうだよなぁ。

そうじゃなきゃ、小説とか物語なんて存在していないもんな。

他人の思想・行動・感情に興味があるからそれを間近でみることができる物語が面白いのであって、他人のことに一切無関心であれば物語なんて面白いわけがないんだから。

 

さらに、なぜ日本人の反応より海外の反応が面白いのだろうか。

まとめを作っている人の取捨選択方針にもよるので一概には言えないかもしれないが、自分はこう感じた。

 

・考察が深い

日本人のコメントだと、自分のブログに長文で感想を書いている人以外は、かなりあっさりとした印象がある。

特定のキャラの賞賛とか作画とか。

それに対して海外のコメントだと「この演出の意図は? これはどういうこと?」と慎重に考えているので、感心するおもしろいコメントが多い。

 

 

・見え方が違う

日本人なら当然のように理解している点でも、外人から見れば理解し難いところが当然ある。

「そうか、ここわからないんだ」「え、そんなふうに勘違いするの!?」と思わず驚いてしまうポイントが有る。

「同じものを違う視点から見る」というのが自分的には好きなポイントなので、それを堪能できるのが嬉しい。

さらに日本人と違う視点というだけでなく、コメントしている人がそれぞれ違う国の人なのでいろいろな視点からのコメントが読める。

それが更に楽しい。

 

 

・ほめられると嬉しい

アニメが日本の文化と言っても、別に自分が関わっているわけではない。

しかし日本のものを日本の外の人にほめられると何故か嬉しくなってしまう。

なぜかはわからないが、そういうものだ。

自分が気に入っているアニメを他の人が「いいよね」といっていれば、それだけで嬉しい。

海外の人に自分が気に入っている作品をほめられると、他の人に同意されるうれしさと日本のものを海外から褒められたうれしさの二重の嬉しさで倍嬉しい。

 

 

ということで、海外のコメントのほうがより楽しく感じるようだ。

 

しかし、リアルで他人の生の反応がいくらでも見れる時代に創作という嘘でできた人物の反応で楽しむためには、相当にクオリティが必要だなと感じる。

そもそも他人のことをみて楽しむのだから、同程度のリアルと嘘があればリアルのほうが心に来るのが当然。

嘘で楽しませるには、リアルの数段上を行かないとどうにもならないなぁ。

 

ネットが普及する前の昔はこんな反応を見ることもできなかったし、あのころこれに匹敵するおもしろいものってあんまりなかった気がする。

昔より物語に求められる基準はあきらかに上がっている気がする。

 

実際、昔の作品を見ると「つまらない」と感じるものが多い。

昔は世の中に面白いものが少なくて、手に取れる物語にも限度があり、面白さ50の物語があればそれだけでおもしろかった。

でも、今は(海外の反応を含む)ネットもあればゲームもあるし、面白さ50の物語じゃ「別のことをしてたほうがマシ」レベルであって、面白さが80とか90あるような物語でないと「面白い」と感じられない。

 

ネットが普及し始める前なんて、自分にとってお金のかからない娯楽は本ぐらいだった。

そしてそのころ普通に楽しんでいた物語も今思えば、そこまでおもしろい物語ではなかった。

今と昔で自分の感性が違うというのはあるにしても、面白さレベルが低いものが多かった。

それに対して、今は娯楽が山のようにある。

その中で本を娯楽にしようとすると、相当レベルが高い必要がある。

昔楽しめていたレベルの物語を持ってきても全く満足できない確信がある。

 

物語への面白さへの欲求は高まるばかり。

このさき物語の世界はどうなっていくのだろうか。

どんどんおもしろくなっていくのか、それとも他のものに取って代わられていくのか……。

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